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C・R・ボクサー(C. R. Boxer)の古典的名著で、1951年に初版が刊行された。1549年のフランシスコ・ザビエルの来日から島原の乱までの日本のキリスト教の歴史を、ポルトガル人イエズス会士の報告書と国家文書、なかでも大英博物館とリスボンのアジュダ図書館所蔵の布教団の秘密報告をもとに語る。その核心にある発想は大胆だ。信仰の興隆と弾圧がなければ、徳川日本は世界に対して門を閉ざすことはなかったかもしれない、というのである。イエズス会が日本の支配者たちとどう渡り合ったかを知るには今も出発点となる一冊であり、本サイトの読書案内の屋台骨でもある。
壮大な帝国的構想は脇に置いてよい。デレク・マサレラ(Derek Massarella)の描く16・17世紀のヨーロッパと日本の出会いを形づくったのは、交易、生き残り、文化的交渉という、実際的でしばしば混沌とした営みであった。1990年にイェール大学出版局から刊行された A World Elsewhere は、イギリス東インド会社の平戸商館(1613–1623年)に関する標準的研究であり、同商館を、より大きな成功を収めた競争相手のオランダも含めた、ヨーロッパと日本の出会いの全体像のなかに置く。商館の記録と個人の日記を手がかりに、マサレラは居留地の社会構造を再構成し、私生活の複雑さも商業上の制約も抱えた人物たちを生き生きとよみがえらせる。ヨーロッパ人と日本人が実際にどう商売をしていたかを知るための、読みごたえのある概観である。
他に類を見ない国際都市の実験。レイニアー・H・ヘッセリンク(Reinier H. Hesselink)の The Dream of Christian Nagasaki(2016年)が描く長崎は、そういう町である。1560年から1640年までを扱う本書は、日本の銀、中国の生糸、イベリアの海上勢力が交差する世界的な交易拠点としての長崎の興隆と、交易とイエズス会の戦略に支えられ、1571年の町の創設から1614年以降の徳川幕府による弾圧で解体されるまで繁栄したキリシタン共同体とをたどる。日本側と西洋側の文書史料を用いて、改宗者たちの生活、各修道会の役割、町の地理を再構成し、1614年の行列の感情的・霊的な高揚を見事に捉えている。そこに生きた人々の経験から語られる、豊かな社会史・文化史である。
Centro de Estudos Históricos Ultramarinos, 1959 · 研究書
銀と生糸の交換。チャールズ・ラルフ・ボクサー(Charles Ralph Boxer)の The Great Ship from Amacon を動かしているのは、この取引である。1959年にリスボンで初版が刊行された本書は、1555年から1640年までのマカオ–日本貿易を追い、銀に富む日本と生糸を求める中国とを仲介したポルトガル人の姿を描き出す。その商業的成功は、イエズス会布教団の影響力、とりわけ長崎支配と切り離せないものであった。リスボンとゴアの文書館史料を掘り下げて交易を数量的にとらえ、その仕組みを解き明かし、競合するヨーロッパ諸勢力から最終的な交易の崩壊までを含めて、経済を政治と宗教に結びつける。ボクサーの政治史・宗教史の諸著作と対をなす商業史・海事史であり、マカオ、広州、長崎の間を行き交った銀と生糸の流れを詳しく案内してくれる。
一国の支配層の心をつかむにはどうすればよいか。J・F・モラン(J. F. Moran)が The Japanese and the Jesuits(Routledge、1993年)で示すように、アレッサンドロ・ヴァリニャーノの答えは文化的適応であった。宣教師は日本語と日本の慣習を身につけなければならない、というのである。モランは、自ら翻訳した未刊の書簡や論考を含むヴァリニャーノ自身の卓越した著作群を土台に本書を組み立てており、読者は宣教師の思考が動くさまをじかに目にすることができる。とりわけ冴えているのは、婚姻をめぐる教会法と現地の慣習との衝突のような難しい事例の分析であり、出来事だけでなく布教を支えた思想と戦略にまで踏み込んでいる。文化的適応と日本人聖職者の養成に関するヴァリニャーノの方針を知るうえで欠かせない一冊である。
キリスト教を受け入れた日本人にとって、それは何を意味したのか。東馬場郁生(Ikuo Higashibaba)の Christianity in Early Modern Japan(Brill、2001年)は、1549年から1639年までのキリシタンを、イエズス会の制度からではなく改宗者の信仰と実践から、つまり「下から」見つめる。その核心にあるのは、日本人キリスト教徒はヨーロッパのカトリック教義をただ受け入れたのではなく、来世の救済とならんで「現世利益」を求める自らの宗教的感性を通して、それを能動的に読み替えたという洞察である。日本語のキリシタン文献を丹念に読み込み、宣教師の記録と突き合わせることで、その生きられた宗教が鮮やかに浮かび上がる。信徒たちが救済と儀礼をどう理解していたかを知るための、新鮮で示唆に富む一冊である。
オランダ東インド会社が徳川幕府とぶつかったとき、折れなければならなかったのは会社の側であった。アダム・クルーロー(Adam Clulow)は The Company and the Shogun で、外交・暴力・主権をめぐる衝突のなかで、VOCが主権的権限への主張を繰り返し放棄させられ、架空の国王の臣下から将軍の忠実な家臣へ、攻撃的な私掠者から従順な商人へと自らを作り変えていったさまを示す。オランダ人を成功した仲介者、あるいは純粋に商業的な主体とみなす従来の見方に異を唱え、「サント・アントニオ」号事件や1621年の禁令といった個別の法的紛争を文書館史料から綿密に再構成して、VOCと幕府それぞれの法の論理がきしみ合うさまを鮮やかに描き出している。
英雄的な征服の物語は忘れてよい。1993年にLongmanから初版が出て、2012年に第2版が刊行されたサンジャイ・スブラフマニヤム(Sanjay Subrahmanyam)の本書は、アジアのポルトガル帝国をもっと奥行きのある姿で描き出す。それは堅固な領域国家ではなく、広大な陸地を支配するかわりに海上交通の要衝を押さえて通行税を取り立てることで成り立つ、脆いネットワークであった。経済データ、外交書簡、政治的叙述を織り合わせ、エスタード・ダ・インディア(Estado da Índia)がいかに現地の同盟関係と不安定な銀貿易に頼っていたかを示して、ポルトガル全能の神話を崩してみせる。近世アジア史の基礎的な総合研究であり、ムガル朝、サファヴィー朝、オスマン帝国との関係をたどる豊かな手引きでもある。
ポルトガル人は17世紀にアジアの海で衰退した、というのが古い通説だ。1986年にCambridge University Pressから刊行されたジョージ・ブライアン・ソウザ(George Bryan Souza)の本書は、別の物語を語る。マカオの民間商人「カントリー・トレーダー」(country traders)は、エスタード・ダ・インディア(Estado da Índia)の独占の喪失にも、オランダとイギリスという競争相手の台頭にも耐え抜いた。それは武力によってではなく、アジア域内交易に欠かせない仲介者へと姿を変えることによってであった。オランダのVOC記録をポルトガルの文書館史料とあわせて掘り起こし、船舶トン数と商品の流れに具体的な数字を与え、マカオを支えた信用・積荷・代理人の網の目を再構成してみせる。18世紀の茶・絹・亜鉛の価額や、バタヴィアと広州における交易量についても、豊富なデータを提供してくれる。
ヨーロッパはアジアに一方的に働きかけただけなのか、それともアジアがヨーロッパをつくる手助けをしたのか。この多巻本の研究は、後者に軍配を上げる。The Century of Discovery(1965年)と、エドウィン・J・ヴァン・クレー(Edwin J. Van Kley)との共著 A Century of Advance(1993年)において、ドナルド・F・ラック(Donald F. Lach)は、ヨーロッパのアジア進出が決して一方通行ではなかったことを示す。アジアの文化・宗教・経済は、ヨーロッパの思想と制度、さらにはその自己認識までも能動的に形づくったのである。多様な一次史料を網羅的に集めたこの研究は、アジアの思想が複数の地域と学問分野にまたがってヨーロッパの意識に入り込んでいった経路を、豊かな細部とともに描き出す。伝統的な歴史学のヨーロッパ中心主義的な偏りを正そうとした基礎的な総合研究であり、近世ヨーロッパとアジアの出会いを広い視野で見渡せる。
徳川期の日本は本当に閉ざされた国だったのか。1984年にPrinceton University Pressから刊行され、1991年にStanford University Pressから再刊されたロナルド・P・トビ(Ronald P. Toby)の本書は、はっきりと否と答える。幕府は受動的な孤立(鎖国)に引きこもったのではなく、日本を中心とする新たな世界秩序を能動的に築き上げ、それによって国内での正統性を固め、対外関係を掌握したのである。朝鮮王朝の宮廷記録と日本の外交文書を突き合わせて、幕府の能動的な外交と情報収集を再構成し、明清交替について幕府がどのように情報を集めていたかを、詳細な事例研究で示す。基礎的な修正主義的研究であり、古い「鎖国」像を問い直したいときにまず手に取るべき一冊だ。
ひとつの構想と、その裏切り。1994年に刊行されたアンドリュー・C・ロス(Andrew C. Ross)による日本と中国のイエズス会史は、この弧を描く。西洋と日本の研究を総合し、フランシスコ・ザビエルの初期の活動から典礼問題まで、二世紀にわたる布教をたどる。中心にあるのは、アレッサンドロ・ヴァリニャーノとマテオ・リッチ(Matteo Ricci)の文化適応戦略だ。イベリアの「コンキスタドール」型とは異なる、帝国主義によらないこの構想は、キリスト教を土地に根づかせることに成功したが、やがてローマの硬直性とブルボン朝の君主たちの政治によって崩される。ロスは日本での布教を全面的な失敗とみなす見方に異を唱え、島原の乱をキリスト教がどれほど深く根を下ろしていたかの証しとして読む。説得力ある一冊であり、日本と中国の布教を比べて読むのにとりわけ向いている。
これは、人々を通して語られるポルトガル領アジアの物語である。チャールズ・ラルフ・ボクサー(Charles Ralph Boxer)の1948年の本書は、布教の熱意や利益の追求という観点だけで歴史を見るのではなく、フィダルゴたちその人、すなわち東アジアの入り組んだ政治と文化のなかを渡り歩いた個々の人物、文官、兵士たちを追う。その舞台の中心にはマカオがあり、ゴア・中国・日本を結ぶネットワークが広がる。多言語の史料を見事に編み上げ、人物を軸にした生彩ある筆致で登場人物たちを生き生きと描き出す。当時としては基礎的な著作であり、ポルトガル語史料を軽視し、植民地アジアをもっぱらオランダやイギリスの目で見ていたアングロ・サクソン圏の学界に異を唱えた。マカオの社会と政治、そしてポルトガルのカラック船貿易の仕組みを知るうえで欠かせない一冊である。
4 vols. Jesuit Historical Institute, 1973–1982 · 研究書
全4巻でひとりの生涯を描く。イエズス会の文書館を利用できたイエズス会士の歴史家ゲオルク・シュールハンマー(Georg Schurhammer)は、1506年の誕生から1552年に中国沿岸沖で没するまでのフランシスコ・ザビエルを追い、後の叙述を測る基準となる標準的な学術伝記を完成させた。ドイツ語原著 Franz Xaver: sein Leben und seine Zeit をM・ジョセフ・コステロ(M. Joseph Costelloe)が英訳したもので、書簡、日記、同時代の年代記から、きわめて詳細で年代的に正確な叙述を組み上げている。ザビエルの霊的形成をナバラの動乱とパリ大学の知的高揚に結びつけ、その歩みをヨーロッパとポルトガル領アジアの激動のなかに位置づける。日本布教については第IV巻 Japan and China, 1549–1552 を開けばよい。
織田信長は、よく言われるような残忍な暴君だったのか。イェルーン・P・ラメルス(Jeroen P. Lamers)の答えは否だ。2000年に刊行されたこの政治的伝記は、信長を実利的で果断、非イデオロギー的で、きわめて野心的な武将として描き直し、「callous and brutal」(冷淡で残忍)よりも「pragmatic and ruthless」(実利的で容赦ない)と呼ぶほうがふさわしいとする。さらに、最後の将軍足利義昭のもとでの室町幕府が、滅亡の直前においてさえ、通常考えられているよりも活力と政治的重要性を保っていたことも明らかにする。英語で読める標準的な信長伝として書かれ、ポルトガル人イエズス会士の記録と日本の年代記の双方に拠りながら、尾張での若年期から1582年の死までを厳密な年代順にたどっていく。
封建領主か、絶対君主か。1982年にハーバード大学出版局から刊行されたメアリー・エリザベス・ベリー(Mary Elizabeth Berry)の豊臣秀吉伝は、どちらのヨーロッパ的なレッテルも当てはまらないことを示す。農民の出自から天下統一に至る台頭をたどりながら、ベリーが描き出すのは独自の政治的秩序である。それは一種の「連邦」であり、中央が全国の平和を保ち、都市を治め、対外政策を担う一方で、大名は自らの土地・軍勢・在地の行政を握り続けた。秀吉の支配は単なる過渡期の逸脱ではなく、首尾一貫し、統一を実際に成し遂げたものとして立ち現れ、制度史と社会史を織り合わせたベリーの分析は、その統一がなぜ安定したのかを説き明かす。豊臣政権の統治と、戦国時代から近世日本への移行を知るための、読みごたえのある手引きである。
1415年のセウタ攻略から1825年のブラジル独立承認まで、ポルトガルの四世紀にわたる海外進出を一冊に収めたのが、C・R・ボクサー(C. R. Boxer)による1969年の概説である。ポルトガル史の第一人者が「History of Human Society」叢書のために一般読者向けに書いたもので、舞台はマグリブからモルッカ諸島、ブラジルにまで広がる。問いは二つだ。ポルトガルはいかにしてヨーロッパの海外進出の先駆けとなり、海を舞台にした最初の近代的植民地帝国を築いたのか。そして、より強力な列強が現れたのちも、その「shoestring empire」(乏しい資源で支えられた帝国)の多くをいかにして保持しえたのか。広範な文書館調査に裏打ちされ、込み入った外交・経済のやりとりを専門外の読者にもわかりやすく解きほぐす。帝国の年代的推移、行政機構、世界的な広がりを押さえるための、いまなお基礎となる総合である。
2 vols. Translated by John J. Coyne. St. Louis: Institute of Jesuit Sources, 1980–1985 · 研究書(翻訳)
日本におけるイエズス会宣教のためにアレッサンドロ・ヴァリニャーノ(Alessandro Valignano)が描いた構想を追ったのが、ヨーゼフ・フランツ・シュッテ(Josef Franz Schütte)のこの研究である。ドイツ語の原著を、ジョン・J・コイン(John J. Coyne)が全2巻の英語に訳した。1573年の巡察師任命から1582年の最初の日本出発までを、「The Problem(問題)」(1573–1580年)と「The Solution(解決)」(1580–1582年)の二幕で描く。核心にあるのは、ヴァリニャーノの成功は、ヨーロッパの模範を押しつけず、宣教の方法を日本の社会的・文化的規範に合わせる急進的な文化適応戦略のたまものだった、という見方だ。書簡や年報を含むヨーロッパと日本の文書館史料を厳密に読み込み、彼の戦略構想を再構成している。有馬晴信や大村純忠といったキリシタン大名との関わりを知るうえでも、豊かな手引きとなる。
1623年、隆盛していた江戸の布教は終わりを迎えた。フーベルト・チースリク(Hubert Cieslik)が1954年にMonumenta Nipponica誌に寄せたこの論文は、その経緯と理由を語る。宣教師の年報、日本の年代記、オランダ側の記録を織り合わせ、江戸の大殉教をその原因から経過、余波までたどり、牢獄の状況や処刑地の地形についても貴重な具体像を示す。チースリクの読みでは、この殉教は江戸布教に決定的な幕を引き、将軍家光のもとで徳川幕府が組織的なキリシタン根絶に乗り出す始まりを告げるものだった。ジロラモ・デ・アンジェリス(Girolamo de Angelis)神父の物語と、家光のもとでの政治的転換を知りたいなら、まず手に取るべき論文である。
日本人・中国人・朝鮮人を対象としたポルトガルの奴隷貿易という、歴史の長く見過ごされてきた一章に光を当てるのが、ルシオ・デ・ソウザ(Lúcio de Sousa)による594ページの研究である。2019年にブリル社(Brill)のStudies in Global Slavery叢書の一冊として刊行された。日本における奴隷制や、そこでポルトガル人とイエズス会士が果たした能動的な役割を軽く扱ってきた従来の叙述に対し、ソウザはイエズス会の宣教とイベリアの植民地経済に深く絡み合った、複雑な多民族的システムの姿を描き出す。イエズス会の記録、ポルトガルの植民地文書、日本の法令を掘り下げ、従来の歴史叙述からしばしば抜け落ちてきた、奴隷とされた人々の生を、ジェロニモ・イヨ(Jerónimo Iyo)などの事例研究を通じてよみがえらせるとともに、交易の担い手と、マカオやマニラを経由する経路をたどる。重大な空白を埋める基礎的な研究である。
全2巻で一つの物語を描き切るのが、2009年にケンブリッジ大学出版局から刊行されたアンソニー・R・ディズニー(Anthony R. Disney)の通史である。第1巻は先史時代から1807年までのポルトガル本国を、第2巻は15世紀初頭の起源から1807–1808年の宮廷のリオデジャネイロ移転までの海外帝国をたどる。核となる見方は、ポルトガル帝国は一枚岩の国家ではなく、公式・非公式の居留地が散在する緩やかな寄せ集めであり、そこでは中央の統制よりも在地への適応や混淆性がしばしばものを言った、というものだ。1974年以降の研究成果を取り込み、政治・経済と並んで社会史にも正当な位置を与えながら、エスタード・ダ・インディア(ポルトガル領インド)の枠を大きく越えて、非公式居留地や植民地期ブラジルにまで目を配る。分断された帝国を、一貫した一つの叙述にまとめ上げている。
Nordic Institute of Asian Studies Press, 2002 · 研究書
1543年、ポルトガル人が種子島に上陸したとき、日本史はかつての中国文明の伝来にも比肩する画期を越えた。オロフ・G・リディン(Olof G. Lidin)はそう論じる。その来航が鉄砲の急速な採用と大量生産の端緒となり、戦国時代の戦いを根本から変えたからである。2002年に北欧アジア研究所(Nordic Institute of Asian Studies)から刊行されたこの研究の真骨頂は、文献学的な厳密さにある。西洋の研究者にはしばしば近づきがたく、誤解もされてきた日本側の主要史料、Teppō ki(鉄炮記)とTanegashima kafu(種子島家譜)の全訳と批判的注解を収め、ポルトガル、中国、日本の記録を突き合わせて、「種子島」銃の出自をめぐる俗説を覆す。1543年の上陸と、日本における鉄砲の初期の普及をたどるための、読みごたえのある手引きである。
顕微鏡、望遠鏡、幻灯機。江戸時代後期の日本にもたらされたこれらの装置を、タイモン・スクリーチ(Timon Screech)は浮世絵、ガラス絵、蘭学書といった日本の視覚文化のなかに追いかける。西洋の光学機器と科学的図像が日本人の見方と芸術制作を根本から変え、伝統的な美意識と共存しつつそれを変容させる新たな「科学的まなざし」を生んだ、というのが本書の核心だ。視覚資料と文字史料を緻密に織り合わせ、医学書から大衆向けの版画までを文化変容の一貫した物語に結びつける手腕が光る。1996年に The Western Scientific Gaze and Popular Imagery in Later Edo Japan の題で初版が出た本書は、江戸の日本で西洋科学がどう描かれたかを知るための基礎的な一冊である。
コンラッド・D・トットマン(Conrad D. Totman)が1983年に刊行した徳川家康の伝記は、若年期から幕府の樹立まで、政治的駆け引き、軍事行動、行政改革を追いながら家康の生涯をたどる。家康の政治的才能は待ち、適応する力にあった、というのが本書の軸で、その現実的な忍耐を織田信長と豊臣秀吉の攻撃的な性急さと鮮やかに対比させる。英語圏の一般読者に向けた明快で読みやすい叙述で、三英傑の性格をくっきりと描き分け、この時代の込み入った政局を解きほぐしてくれる。何よりの魅力は、個人的な習慣や家族関係、隠居後の暮らしぶりまで描き、家康を生身の人間として立ち上がらせている点だ。
2 vols. Institutum Historicum Societatis Iesu, 1990–1995 · 一次史料(校訂版)
1547年から1562年まで、日本における初期イエズス会布教の文書が2巻に収められている。当時の日本のキリシタン共同体に関する文書群の全体を、フアン・G・ルイス=デ=メディナ(Juan G. Ruiz-de-Medina)が編み、イエズス会歴史研究所(Instituto Histórico de la Compañía de Jesús)がスペイン語で刊行した校訂版で(1990年・1995年)、Monumenta Historica Societatis Iesu 叢書の一部をなす。旧来の刊本に頼らず原写本に立ち返り、訂正を施した翻刻と、古語や略語を解き明かす注を備える。ヨゼフ・F・シュッテ(Josef F. Schütte)の Introductio が築いた書誌的枠組みの上に立つ、この時期の標準的な参照版であり、フランシスコ・ザビエルとガスパル・バルゼオ(Gaspar Barzeo)をめぐる文書を読むならまずここである。
1640年から1853年まで、日本は本当に世界から閉ざされていたのか。グラント・K・グッドマン(Grant K. Goodman)の答えは否である。この時期は、限られてはいたが重要な、オランダとの商業的・知的接触の時代だったというのだ。1600年の最初の接触から江戸時代を通じての日蘭関係をたどる本書の中心にあるのは蘭学で、長崎の通詞のあいだに芽生えた蘭学が江戸や諸藩へと広がっていく過程を、多様な日本側史料から描き出す。1967年に The Dutch Impact on Japan (1640–1853) として初版が出て、1986年に Japan: The Dutch Experience として改訂され、2000年に現在の題で再刊された、日本における蘭学研究の基礎的な著作である。
1565年から1815年まで、スペインのガレオン船はマニラとアカプルコのあいだで太平洋を越えた。ウィリアム・ライトル・シュルツ(William Lytle Schurz)はその歴史を読ませる筆致で語る。本書の核心は、この交易がスペインの太平洋帝国の大動脈だったという点にある。危険に満ち、多くの人命を犠牲にしたこの航路は、アジアの奢侈品とアメリカ大陸の銀を循環させ、カリフォルニアの探検を推し進め、フィリピンをスペインの領土とし、太平洋を世界経済に組み込んだ。セビーリャのインディアス総文書館(Archivo General de Indias)での調査にもとづき1939年に初版が出た本書は、交易の危険、航路、個々の航海を生き生きと再構成し、ガレオン貿易の意義をめぐる英語圏の標準的な叙述を確立した。
南蛮貿易を実際に支えていたのは誰だったのか。岡美穂子は、それが国家の認可した独占にとどまらず、私商人、イエズス会の商業活動、そして日本の出資者から託された銀(kotozutegin)を含む広大な信用のネットワークに支えられた仕組みだったことを示す。ポルトガル、スペイン、日本の文書館史料、なかでもこれまで十分に活用されてこなかった日本とマカオの文書をもとに、kotozuteginからレスポンデンシア契約に至る金融の仕組みを細かく再構成し、ポルトガル人、日本人、中国人が互いに依存し合っていた姿を描き出す。2010年の日本語の著書 Shōnin to senkyōshi: Nanban bōeki no sekai(商人と宣教師 南蛮貿易の世界)の英語版として2021年にBrillから刊行された本書は、信用と銀がマカオと日本をどう結びつけたかを知るための一冊である。
マリン・D・ニューイット(Malyn D. Newitt)による2005年の本書は、1400年から1668年までのポルトガルの海外進出を年代順にたどる。その要点は、進出が中世前期の諸制度から地球規模の商業ネットワークへと移り変わっていった、複雑で絶えず変化する事業であり、王権だけでなく、しぶとい民間の主導と宣教活動にも支えられていた、という見方にある。
1543年のポルトガル人の到来から徳川時代の終わりまで、ニール・S・フジタ(Neil S. Fujita)の1991年の本書は日本におけるカトリック布教の歩みをたどる。布教の当初の成功と最終的な失敗を、キリスト教神学の厳格な排他性と、日本の文化・政治の習合的かつ実利的な性格との衝突から説き明かしている。
エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer)は1690–92年に出島に滞在し、その日本についての記述は1727年に The History of Japan の題で初めて英語で刊行された。ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー(Beatrice M. Bodart-Bailey)が編集と注解も手がけたこの現代の英訳は、ドイツ語の原稿に立ち返り、ケンペル本来の語り口を取り戻すとともに、従来の英語版に見られた歪曲を正している。
ポルトガルのアジア帝国は本当に王室独占だったのか。ジェームズ・C・ボヤジャン(James C. Boyajian)の1993年の研究は否と答え、私貿易、とりわけ新キリスト教徒による私貿易こそが交易を支配し、ハプスブルク期の帝国を支えたことを力強く論じる。見慣れた構図をひっくり返し、王権ではなく商人たちを物語の中心に据えた一冊である。
The Cambridge History of Japanの第4巻で、ジョン・W・ホール(John W. Hall)が編者を、ジェームズ・L・マクレイン(James L. McClain)が編集補佐を務めた。欧米と日本の専門家を結集し、近世日本を幅広く総合した一冊である。英語圏の読者にこの時代の完全な記録を届けることを目指し、双方の学界の研究を土台としている。近世日本の全体像を一冊でつかみたいなら、まず手に取るべき参考書だ。
日本・中国・朝鮮を一つにつながった物語として描く。The Cambridge History of Japan第4巻に収められたこの章で、ユルギス・エリソナス(Jurgis Elisonas、ジョージ・エリソン George Elison)は、中国を中心とする朝貢体制と、自立を主張しようと変化し続ける日本の試みとのせめぎ合いをたどる。その行き着く先は、徳川政権による独自の日本中心の秩序の創出であった。東アジアの国際関係を一章で見渡せる、視野の広い論考である。
人間として、宣教師として、著述家としてのアレッサンドロ・ヴァリニャーノを丸ごと描く。イエズス会士の研究者M・アントニ・J・ユチェルレル(M. Antoni J. Üçerler, SJ)が2003年にRenaissance Studies誌に発表した論文で、布教の要でありながら議論を呼んだこの人物を取り上げる。その革新的な文化適応政策は日本のイエズス会布教を一変させ、同時代人に根強かったヨーロッパ中心主義に異を唱えた。布教の方向転換を導いた人物への、簡潔で読みごたえのある入門である。
コンラッド・トットマン(Conrad D. Totman)のEarly Modern Japan(1993年)は、1568年から1868年までの三世紀を、一つの鮮やかな逆説を軸に描く。目覚ましい成長ののちに一世紀半の停滞が訪れ、社会的・経済的な拡大は体制上の制約と生態的な限界に突き当たったというのである。生態への目配りが、おなじみの歴史に新鮮で示唆に富む角度を与えている。
1601年にバルセロナで初版が刊行された、マルセロ・デ・リバデネイラ(Marcelo de Ribadeneira)によるフランシスコ会の歴史書で、フィリピン、中国、東南アジア、日本の布教を広く描く。その確信は、フランシスコ会、とりわけ跣足派の修道士たちこそ東洋の福音化のために神に選ばれ、英雄的な徳と殉教によって信仰の礎を築いたというものだ。修道士たち自身の声で語られた彼らの物語であり、1947年には注を付した現代版がマドリードから出ている。
中国のイエズス会士を文化の使者とみる、おなじみの像の向こうへ。リアム・マシュー・ブロッキー(Liam Matthew Brockey)によれば、彼らはなによりもまず宣教師であった。2007年の本書は、彼らがローマ・カトリックを中国の文化的枠組みへと翻訳し、改宗者たちをバロック・カトリシズムの共同体へと形づくり、ついには約二十万人の改宗者を数えるに至った姿を描く。中国布教が実際にどう動いていたかを伝える、読みごたえのある一冊だ。
海から見た中世後期の日本は、どんな姿をしていたのか。ピーター・D・シャピンスキー(Peter D. Shapinsky)の2014年の研究は、おなじみの陸上中心の視点を、しばしば海賊として片づけられてきた海の民自身の視点に置き換える。そこから生まれるのはこの時代の新たな理解であり、書名にいう「海の領主」たちが物語の中心に立つ。
ジョアン・パウロ・オリヴェイラ・エ・コスタ(João Paulo Oliveira e Costa)が1998年にリスボン新大学(Universidade Nova de Lisboa)に提出したポルトガル語の博士論文で、ルイス・セルケイラ司教(D. Luís Cerqueira)の在任期(1598–1614年)に光を当てる。日本キリスト教史において決定的でありながら見過ごされがちなこの段階を、イエズス会主導の独占体制から、フランシスコ会、スペイン王権、台頭する徳川政権を巻き込む複雑な抗争への移行としてたどる。激動の一章を深く知るための手引きである。
短く、図版入りで、細部に富む。アンソニー・J・ブライアント(Anthony J. Bryant)による96ページの一冊(Osprey社 Campaign シリーズ第40巻、1995年)は、関ヶ原の戦いへと読者を導く。ブライアントはこの戦いを、豊臣秀吉の死後に続いた権力闘争の決定的な帰結として描き、徳川家康が軍事力だけでなく、戦略的な駆け引きと小早川秀秋の決定的な裏切りによって勝利したことを示す。家康の覇権を確立した一戦への手ごろな案内書である。
二世紀以上にわたる潜伏のなかで、日本のキリシタンはどう変わっていったのか。ピーター・ノスコ(Peter Nosco)が2007年にJapanese Journal of Religious Studiesに発表した論文は、ひそかに実践される禁じられた宗教として始まった潜伏キリシタンが、取り締まりの緩みとともにかくれキリシタン(Kakure Kirishitan)となり、近代に入って初めて秘密結社の性格を帯びるまでをたどる。その全行程を、簡潔で考え抜かれた筆致で案内してくれる。
1585年、ルイス・フロイス(Luís Fróis)はヨーロッパと日本を並べ、風習と風習を突き合わせた。編者たちはこの論考を、ヨーロッパ人による初の体系的な日本記述と位置づける。リチャード・K・ダンフォード(Richard K. Danford)、ロビン・D・ギル(Robin D. Gill)、ダニエル・T・レフ(Daniel T. Reff)が翻訳・編集・注釈を担い、レフによる批判的な序論を付した2014年のこの英語校訂版は、鮮やかな対比の数々を存分に味わわせてくれる。
エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer)は1690–92年にオランダ東インド会社の長崎(出島)商館の医師を務め、その間に二度江戸へ旅した。本書は、彼がその目で見たものに基づく記述である。J・G・ショイヒツァー(J. G. Scheuchzer)による英訳は1727年にロンドンで刊行され、1906年にグラスゴーで再刊された。日本について、さらにはシャムについても、民族誌と歴史の両面から包括的な姿を描き出す。
近世日本におけるイエズス会の事業は、単なる霊的な営みではなかった。M・アントニ・J・ユチェルレル(M. Antoni J. Üçerler, S. J.)は2022年の本書でそう示す。それは宗教・法・「国家理性」をめぐる議論と結びついており、宣教師たちは日本人キリシタンのジレンマに合わせた「良心問題」(cases of conscience)に至るまで、武士の日本に向けてキリスト教を「再創造」しようとした。宣教師はキリシタン領主に戦争について助言してよいのか、避難のための要塞を持つべきなのか。そうした議論も本書の読みどころである。
The Cambridge History of Japan第4巻に収められ、ジェームズ・L・マクレイン(James L. McClain)が英訳したこの章で、脇田修(Wakita Osamu)は、16世紀後半の社会的・経済的変容は中世の延長ではなく決定的な断絶であったと論じる。統一は独自の社会類型を生み出し、中世と近世とのあいだに真の境界線を引いたというのである。統一が何を変えたのかを、大きな視野で明快に示す一章だ。