日葡交流の全年表 1543–1650年
種子島への偶然の漂着から、島原の乱後の最終的な追放まで、既知の世界の両端に位置する二つの文明が、一世紀にわたって交わした接触を形作った重要な出来事、条約、転換点を網羅する年表です。
ポルトガル · 日本 · 1543–1650
南蛮の世紀についての三言語レファレンス。日葡の出会いの出来事・人物・転換点のすべてを、1543年から1650年まで。
背景:狩野内膳「南蛮屏風」(部分)、1600年頃──神戸市立博物館蔵
背骨
資料室
種子島への偶然の漂着から、島原の乱後の最終的な追放まで、既知の世界の両端に位置する二つの文明が、一世紀にわたって交わした接触を形作った重要な出来事、条約、転換点を網羅する年表です。
1549年に鹿児島に上陸したナバラ出身のイエズス会共同創設者は、史上最も野心的な布教活動の一つに着手しました。日本での二年間の滞在は、その後数十年にわたる宗教的・文化的変容の方向を決定づけました。
1543年、ポルトガル商人が火縄銃を伝えたとき、彼らは知らずして戦国大名たちに日本の戦術を一変させる武器を手渡しました。数十年のうちに、日本はヨーロッパのいかなる国をも凌ぐ数の鉄砲を保有するに至りました。
マカオから長崎への年次キャラック船は、南蛮貿易の生命線でした。中国産の絹、ヨーロッパの珍品、そしてイエズス会宣教師を運んだこれらの船は、当時最大級の帆船として、交流の経済的・文化的基盤を形成しました。
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三日三晩にわたって耳を傾けた将軍、世界を渡って答えを持ち帰った家臣、そして、それらが起きたことを示す唯一の証拠である1903年の英語の歴史書に引かれた一段落。伊比正義は徳川秀忠によってヨーロッパのキリスト教を見定めるために送られたが、二つの大陸の文書館は、ついにその名を差し出したことがない。
1613年6月のある午後、クローヴ号という一隻の船が九州の小さな港に錨を下ろし、ジョン・セーリスという船長が、ジェームズ一世からの書状と、売れ残りのブロードクロスの積荷と、日本にただ一人いたイギリス人への遺恨とを携えて上陸した。その十年後、イギリス人は負債にまみれ、面目を失い、涙のうちに日本を去ることになる。
舌を切り取られたひとりのポルトガル人医師が、いかにして弁舌によって総主教の座をせしめたか。
遺腹の孤児、十字軍に取り憑かれた少年王、そしてモロッコでの破局的な死。リスボンにいたひとりの男の中世的な幻想が、日本におけるキリスト教の未来をいかに作り変えたか。
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